プロローグ ~衝撃的だったクラカメとの出会い~

私がクラシックカメラへ興味をもつようになったそのキッカケは、今から思えば全くの偶然の出来事からでした。
1980年代、当時私は30歳代半ば、日本国内の地方都市や発展途上国の開発計画の企画・立案の仕事をしていました。重要な仕事を任されているという自負もあって、仕事が面白くてまさに典型的な「仕事人間」の毎日を過ごしていました。
一日の時間の殆どを仕事につぎ込み、自分の自由時間といったものはのは無いに等しい状況でしたが、それでもたまには映画を観たりクラシック音楽を聴くことで息抜きをしていました。

そんな中、あれは1985年か86年ころだったかと思いますが、映画「アマデウス」を観る機会がありました。アカデミー作品賞をはじめ数々の賞を受賞したこの映画は当時結構話題となったので覚えている方も多くいらっしゃると思います。

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もともと、子供時代からクラシック音楽が好きで、とりわけモーツアルトの音楽が好きだった私にとっては、この映画は本当にストライクど真ん中の映画で、当然のように、そこで描かれる映像と音楽の世界に魅せられ引き込まれたのは言うまでもありません。
映画では主にウィーンを舞台にした物語設定となっているですが、実際の撮影場所はその殆どがチェコのプラハで行われました。モーツアルトが活躍した時代のウィーンの街の様子は現在のプラハにまだまだその名残が色濃く残されていたからです。
この映画を観て以降、私のモーツアルト熱は前にも増して高まり、特に、映画で度々登場したオペラの舞台に大いに興味をそそられ、モーツアルト・オペラに傾倒していくことになりました。
『フィガロの結婚』、『ドン・ジョヴァンニ』、『魔笛』、『コジ・ファン・トゥッテ』の有名4大オペラを始め、映画で印象的だった『後宮からの誘拐』など、次々とCDやDVDを買い漁り、指揮者・オーケストラのバリエーションの違いをカウントに入れれば数十種類のアルバムを持つようになりました。
映画におけるオペラ舞台の撮影はプラハの街なかにあるエステート劇場で実際に行われたのですが、この劇場がまた素晴らしいのです。

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世界の著名オペラハウスと比べれば無名に等しい田舎の小さな劇場といった感じなのですが、雰囲気はモーツアルトの時代そのまま、そして、モーツアルト自身が指揮してオペラ『ドン・ジョヴァンニ』を初演したという歴史ある劇場でもあるのです。
私は、「アマデウス」を観て以降、時期を見て必ずプラハを訪れ、このエステート劇場でモーツアルトと同じ空気を吸うのだ、と固く心に誓ったのはごく自然な流れでした。

2000年代に入り、それまで東南アジアや南米など発展途上国を対象とした私の仕事が一段落し、時間的・精神的そして何より金銭的な余裕ができる中でプライベートでの海外旅行先もそれまでの東南アジアにかわって次第にヨーロッパやアメリカが中心となっていきました。
そして遂に念願のプラハ&ウィーンへのオペラの旅が実現することになります。
時期は、ヨーロッパではまだまだ寒さ厳しい2月20日から3月5日までの15日間。プラハとウィーンでオペラを満喫し、あわせてモーツアルトの足跡を辿ろうとするプランを立てました。
その時鑑賞したのは、プラハではエステート劇場でモーツアルト『魔笛』と『フィガロの結婚』、他に国立オペラ劇場でプッチーニの『トスカ』。そしてウィーンでは、国立オペラ座でドニゼッティの『愛の妙薬』、フォルクスオーパー劇場でビゼーの『カルメン』と、全部で5つのオペラを実際に、この眼で観、この耳で聴く、といった至福の時間を持つことになったのです。
生で観る本場のオペラは想像以上の迫力で圧倒されっぱなし、まさに夢のようなプラハ&ウィーン滞在でした。
特にエステート劇場は、映画「アマデウス」に出てくる舞台と全く同じ(当たり前といえば当たり前ですが)。思った以上に小ぶりでチャーミングなオペラハウスで、オペラ歌手の息遣いまで感じることができる一体感ある素晴らしい場所でした。
15日間の日程はプラハとウィーンでのオペラ上演を睨んでスケジュールを組み、その合間をぬってモーツアルトゆかりの地を訪れたり一般的な観光をすることにしました。

ここまで延々とクラシックカメラと関係ない話をしてきたのでシビレを切らした方もいらっしゃることでしょう。でもこのあと、遂にクラシックカメラとの出会いとなるのです。
あれはエステート劇場で『魔笛』が上演されるその日の昼のことです。上演時間は19:00スタートなので、空き時間にプラハの街の郊外にある『国立技術博物館』に見学に行くことにしました。
この博物館は「メカ好き、乗り物好きなら嬉々として数時間過ごせる、大人も子供も楽しめる博物館」というキャッチコピーで知られ、まあ時間つぶしにはいいかなという軽い気持ちで出かけました。
今は改装され綺麗になっているようですが、私が訪れた当時は古めかしい巨大な建物の中に、飛行機、蒸気機関車、クラシックカー、クラシックオートバイなどいろんな乗り物がところ狭しと展示され、ごった煮のおもちゃ箱といった風情でした。
乗り物以外でも、写真、印刷機械、建築など盛りだくさんの展示があり、かつてオーストリア・ハンガリー帝国の一翼を担ったチェコの工業技術力の高さを実感させる、キャッチコピーに違わない飽きなく楽しめる技術博物館で、感心することしばしでした。

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航空機と蒸気機関車

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クラシックカー

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技術博物館エントランスと筆者

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昔のハレーダビッドソン

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クラシックカメラコーナー

たくさんの展示の中で、私が特に興味をいだいたのは写真のコーナーでした。写真機の歴史の解説とともに、それぞれの時代を代表するカメラがズラ~と整然と整理・展示されていて、一目でカメラ史が理解できるよう工夫されていました。
当時、私はカメラに対するこれといった知識もなく、また興味も薄かったのですが、その時は小さな機械としての塊が何か意思を持ってその存在をアピールしているような気がして、思わず一つひとつの機体に見入ってしまいました。
今から思えば、1920年代から始まるライカを中心とする小型カメラの歴史のコーナーなのですが、その時初めてクラシックカメラの実物を間近に見るインパクトの大きさだけは強く印象に残っています。

チェコは先にも述べたとおり、工業国としての実力とともに一般国民も科学技術についての造形が深いようで、プラハの街なかの本屋を覗いてみると技術関係の書籍が充実し、カメラや写真芸術についての本もたくさん見ることが出来ました。
また、街なかには中古カメラ店が幾つかあり、滞在期間中にたまたま通りかかかったそのうちの一軒を冷やかし半分に覗いてみました。自国のフレクサレットやオペマなどのほか、ドイツ製クラシックカメラが充実して取り揃えられていました。

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技術博物館では間近には見れるものの実物には触れる事はできませんでしたが、ここ中古カメラ店で生まれて初めてライカ(多分、戦前のバルナックライカII型だったかも)を手にし、空シャッターを切ってみました。
コトリというそのシャッター音は心地よく耳に響き、ヒンヤリした機械の感触が手から脳へ伝わって、なんとも言えない満たされた気分になったことを覚えています。それと同時に、松田聖子じゃないけど、頭のどこかで「ピピっ」とくるものがあったのも確かです。

その時は別に買う気もなく、単に冷やかしだったのでそのまま店を後にしましたが、これが後々の布石となっていきます。
プラハの技術博物館で観て興味を抱き、書店でカメラ関係本に接し、そして中古カメラ店で初めて手にしたクラシックカメラでしたが、これがオペラ旅行から帰ったあともどうも気になる存在として頭に残り続け、次なるアクションへと繋がることになっていきます。そのお話はこのあとで。

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